|
加藤 哲郎(かとう てつろう、1964年4月12日 - )は、宮崎県宮崎郡佐土原町(現:宮崎市)出身の元プロ野球選手(投手)・野球解説者・タレント。血液型はAB型。身長185cm、体重90kg。 == 来歴・人物 == 宮崎日大高から1982年度プロ野球ドラフト会議にて1位指名で近鉄バファローズに入団。速球とフォークボールを武器に1986年から徐々に頭角を現し、中継ぎとしてチームに貢献。 ペナント最終戦でチームが逆マジックをかけたものの敗れた1988年(10.19を参照〔なお、10.19では優勝がほぼ消滅した10回裏から登板している〕)や、2位オリックスとゲーム差なし、3位西武と0.5ゲーム差で熾烈な争いを展開し優勝した1989年は、先発・中継ぎにフル回転した。10.19でも延長戦でイニングを3分以内に終わらせなければ引き分けで事実上西武の優勝が確実となった場面で登板した。 1989年10月12日の西武とのダブルヘッダーに連勝した近鉄は、マジック1として10月14日の藤井寺球場での対福岡ダイエーホークス戦において先発した加藤は6回1/3を1失点で勝利投手となった。読売ジャイアンツとの日本シリーズでも3試合に登板するが、勝利投手となった第3戦での試合後ヒーローインタビューでの発言内容がクローズアップされ、話題となった(詳細は後述)。 1990年は右肩の故障で成績が低迷、1991年に中継ぎで6勝無敗の成績を挙げたものの、その後再度右肩を痛め、1993年11月に近鉄を自由契約となり、入団テストを経て広島東洋カープへ移籍。広島ではサイドスローへ転向し、通算150登板を果たすも1年で戦力外通告を言い渡される。1994年11月、福岡ダイエーホークスの入団テストを受け合格するが、一軍登板がないまま現役を引退。 その後、1996年から6年間朝日放送(主にABCラジオ)で野球解説者をすると同時にオフィス斬に所属し俳優をした後、焼肉店「猛牛軍団」の店長を務めていていたが、退職〔二宮清純責任編集SPORTS COMMUNICATIONS「野球 : 元近鉄・加藤哲郎、「巨人はロッテより弱い」発言の真相」 (2011年10月13日)〕。現在は、麻雀教室の講師を担当している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「加藤哲郎 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|